
うちの近くには、シャトーと呼ばれている大きな家がある。
うちの通りは、両側にメゾン・ブルジョワーズと呼ばれるカテゴリの豪華な一軒家が立ち並んでいて、それはそれはきれいである。そのなかでも大きい家はフランスではシャトー(城の意味)と呼ばれる。
その大きな門から小高い丘につづく家までは背の高い木がぽつぽつと並び、外からは家が見えない。
持ち主は銀行をいくつか所有するイタリア人の資産家。ミラノに本拠地を構えているご主人は、世界の各地に家を持っているらしいのだが、ふだんはここにはいず、冬のあいだの6ヶ月だけここに奥方とともに滞在するということ。不在のときも庭師がときどき来て、庭の手入れをしている。
以前、家のうしろにある車庫とプールをマーセルに見せてもらったことがある。それはずいぶん前、まだマーセルが定年する前に、土日を使って彼の義息子とともにつくったらしい。
名前ではなく“シャトー”と呼ばれているだけあって、その家はなんと600平方メートル(≒182坪)の広さだという。ふたりきりでどうやって住んでいるのかよくわからない!
ご主人がその家を買ったとき、きれいに大理石などでつくられたキッチンとバスルームを見て、
「う〜ん。イタリア風じゃないから全部壊す」
と言って、すべて撤去、新しく自分好みにつくりなおしたぐらいだそうだ。
ちなみにわたしたちは引っ越してきて近所周りはすませたが、この家だけは恐れ多くてきちんとあいさつはしていない。
秋のある朝、会社へ行こうとしているセバさんを見送る際に、セバさんに急ぎで送りたいと頼まれていた郵便物を2通、ポストに出しにいったわたし。郵便局のポストはシャトーと道を挟んだ隣の家の外壁に取りつけてある。
「うちの車庫のドアを自動にしたい。古いものだけどできるのかな」
と前日の晩話していたセバさん。それを思いだしながら、わたしはポストまで続くシャトーの前の道路を歩いていた。・・・シャトーの門は、リモコンで自動で開くようになっている。そして敷地のなかを車でそのまま走り、家のそばに立っている車庫までそのまま車で行けるようになっているのだ。さらに広大な庭の各木にはライトが配してあり、それもリモコンでひとつボタンを押せばパーっと庭が明るく照らされる。その仕組みをつくったのもマーセルで、家の主が不在のときも、夜なにか不審な音がしたときは、彼が家からリモコンでその庭を照らす。その家にはそれはまた高価な絵が飾ってあるから、とマーセルが言っていたな。
カタン・・・そんなことを考えながらわたしは手紙をポストに投函した。
・・・と、あれ?待った!
と、気づいたときはすでに時遅し、わたしは自動の門のことを考えていて、なんと、出さねばならないうちの封筒をシャトーの郵便受けに投函してしまったのだった。ポストはあっち!
手を郵便受けの口にいれてみてもとれない(あたりまえだ)。うわどうしよう、ポストまちがえちゃったよ、と急いで家の前にまだ停まっているセバさんの車に戻る。そのことを告げると彼は、えっ?!と驚き、困る困ると騒ぎはじめた。
「待って。たぶんマーセルが鍵を持ってるから、あとで開けてもらうから」
不安顔なセバさんをなんとかなだめ、急ぎの郵便物をシャトーの郵便受けに入れてしまったまま、会社へ旅立ったセバさん。
わたしも不安な思いのまま、しかしまだ朝はやかったし、ひとまず家に戻った。
午前11時ごろ、家の玄関がピンポ〜ン♪と鳴った。きたきた。
扉を開けてでていくと、そこには案の定マーセルが。この時間にきたときは、まずはコーヒーである。
わたしは彼をうちに招き入れてコーヒーをだし、今朝おかしてしまった愚かな話を彼に告げた。
「じゃあ今からいこう」 急いでマーセルのあとを追う。シャトーのほうにまっすぐ歩いていく彼に、「シャトーの鍵をもってこなくていいの?」と聞くと彼はにやりと笑った。
シャトーに着くと、彼は迷わず門に取りつけてある呼び鈴を鳴らした。
「え、誰かいるの?」と聞くと、
「この家の主人ね。昨日戻ってきたんだ」
わたしは青くなった。よりによって住人が帰ってきているときにまちがえて出してしまったとは・・・。
左が郵便局のポスト、右がシャトーの郵便受けアロー?と誰かがインターフォンに出た。マーセルはあいさつをしたあと、いや隣人がきみのとこの郵便受けにまちがえて手紙を投函してしまってね・・・・すると家の主人はアーボン?と言って笑った。話すマーセルも、横目でちらちらわたしを見ながらその目は完全に笑っている。
わたしは穴があったら入りたくなった。
そうこうしていると、後ろからププー!とクラクションの音がした。振り向くとでかい黒い四駆の車がこちらに近づいてくる!この家のイタリア人マダムであった。黒くて軽そうな毛皮のコートを着込んだマダムはマーセルとあいさつを交わしたあと、「あー手紙ね。入ってたわ。ほら」と強いイタリアン・アクセントのフランス語で彼女は話し、これまた高そ〜な黒い革のバックのなかからわたしの失われたふたつの封筒を取りだし、手渡してくれた。
リモコンを使って扉をひらき、なかに車とともに消えていくマダムを見送りながらマーセルは、
「戻ってきていてよかったよ。僕はシャトーの郵便受けの鍵は持ってないからね」
と言った。ではわたしは逆にラッキーだったのか。しかし、
「まちがえたこと誰にもいわれないでね、恥ずかしいから」とマーセルに念を押しておく。
「今日はペピタ(マーセルの奥さん)が休みで家にいるから、ちょっとうちに寄っていく?」と彼がいうので、わたしはそのまま家を通り過ぎてマーセル家へ。
家に着くなり彼は、ペピタに今あったことを報告した。
「郵便局のポストとまちがえてシャトーの郵便受けに封筒をだしちゃったんだよ」 ありえない、という身振りを交えて話すマーセル。
ペピタはええ?と一瞬目を丸くしたあと笑い、でもあるある。ぼーっとして歩いているときなんかね。とすぐ真顔になりわたしの肩をもってくれた。ううやさしい。その後、ペピタと世間話をしており、あそこの子供はとっても頭がよくて飛び級して・・・と話しているとマーセルが「ほんとに頭がよくてね。きみみたいに」と皮肉的にポストをまちがえたことをからかわれ・・・
セバさんはその日会社で自分の奥さんがしたアホなことを笑いの種にし、わたしはその後、時あるごとに
「ふたつのポストのあいだの道ね」
なんていうふうに、まだマーセルに突っこまれている次第である。
みなさんも、手紙を投函するときはくれぐれもまちがわないよう気をつけましょうね。